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トッキー
2018.5.25 01:34その他ニュース

きれいごとだけの性(生)なんて

『よしりん辻説法』
「セクハラ盆に返らず」への
反響続々です!



今月も『よしりん辻説法』拝読いたしました。

笹師範のエピソードを読み、
私はかつていた介護の現場のことを
思い出しました。
高齢者といえど性欲とは無縁では
決してないし、
「性的なことを言われた、された」は
日常茶飯事でした。

ある日のこと、男性Aさんの入浴介助を
終えて、Aさんがふと
「明日、わし家に帰るんや…」と
言い出したのです。
(認知症で入居しており、
そんな予定はないのですが)
そのやりとりはいつものことで、
私も適当に合いの手を入れていたのですが、
そのうちAさんが「ひとつ頼みがある」
とつぶやきました。
「最後だから、あんたの足にキスさせてほしい」

すぐにいなすとか冗談扱いすれば
よかったのでしょうか。
私がどう対処するか考えるよりも先に、
Aさんは跪き私の脛に口唇を
押しつけてきました。
それは一瞬だったような、
果てしなく長かったような。
私は天を仰ぎ、なんだか「負けた」ような
気持ちになりました。
何の因果か、自分の足元に、裸の老人が
ひれ伏しているとは。
いや、今は突きつめて考えるのはよそう…。

客観的に見れば、Aさんの行為は
セクハラか痴漢です。
でも、私は被害に遭ったなどとは考えられず、
それよりもプロとして気の利いた
「返し」ができなかったわが未熟さが
悔しかったなぁ。
それに、なんだか可笑しくもなります。
欲というものは寄生し続けるのだと。
宿主が死なないかぎり。

後で思い返すと、Aさんが老いた身にも
拘わらずえらく素早く行動に移していた
ことに苦笑します。
認知症という病気にかこつけて
「うまいことやりよった」のか、
それとも切ないまでの希求だったのか、
それはわかりません。
いずれにせよ、「次はどう迎え撃つか」と、
私も常に腕試しのような心構えでした。
矜持というよりは、職人芸的な
いやらしさと言えなくもないですが…。
それでも、私の中の常識にどう照らし
合わせても、人の尊厳を傷つける
セクハラとAさんの行為とを
同列に並べられません。

対人間の仕事とは、相手が行儀の良い
模範的な人ばかりではありません。
でも、めげてばかりもいられず、
むしろいかにして乗り越えるかを試される。
人生もしかり。
生きることのおもしろさ、楽しさは
そこにあるのではないかと考えます。

きれいごとだけの性(生)なんて
私は御免被るし、誰かに守って
もらおうとも思いません。
世間には、今一度己の中にある常識や
バランス感覚に問え、くだらないことに
拘泥するな、と言いたい。
そうでなければ、いざ戦わなければ
ならない場面に、その術を知らないまま
遭遇してしまい、
もっと酷い結果になりますよ、と。
(だふねさん)


体験も、その受け止め方も、
それを表現する文章力もすごいです。
なんでもかんでもセクハラだ、
撲滅しろとヒステリックに叫ぶ女性は、
こういう女性を勝手に「杉田水脈」あたりと
同一視しているのかもしれませんが、
むしろこちらの方が常識とバランス感覚のある
サイレントマジョリティーかもしれないと、
考えてみた方がいいと思いますよ。
トッキー

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